またもやアゲハに丸坊主にされた
ジャコウアゲハ・アオスジアゲハに続いて、我が家のアゲハ(ナミアゲハ)をご紹介します。現在、茶色の蛹になって北側のベランダの壁に張り付いています。このアゲハは9月下旬に南側のベランダに置いてある鉢植えのミカンの葉に5つ卵が産み付けられていたもののうち、唯一ここまで生き残ったものなのです。
実をいうと、このミカンの木は、以前飼育していたナガサキアゲハがエサにしていたものです。その時は完全に坊主になったので枯れるのではと心配していたのですが(「ナガサキアゲハの幼虫」を参照)、幸い再び芽を出し葉を広げ始めていました。しかし、4階にある小さな木であるにもかかわらず今度はアゲハが目ざとく見つけて卵を産み付け、またもや丸坊主になりそうになった可哀そうなミカンの木なのです。次の写真で、葉の上に小さい幼虫が5ついるのですがお分かりになるでしょうか?
幼虫は最初5つだったのですが、気が付くたびに数が減り、3つになった段階で葉っぱも残り少なくなったので、近い将来のエサ不足に備え、北側のベランダに置いてあるサンショウの木に強制的に移動してもらうことにしました。飼育者の都合上、突如、主食を強引にミカンからサンショウに切り替えさせたわけです。この時、既に一つは最終齢になって鳥の糞から緑の青虫に変身したばかりでした。次の写真で分かるように鳥の糞の抜け殻が青虫のすぐそばにあります。
さらにその後、残りの2つの幼虫もミカンから移動させたので、今年はサンショウに蛹が3つできるかなと期待をしていたのですが、そううまくは行きません。気が付いてみると幼虫はたった1つになっているのです。他はきれいに消えています。サンショウも葉がどんどん少なくなり緑色をしていてはかえって目立ち、鳥の餌食になったようです。ナガサキアゲハの時に最終段階で鳥にやられ期待していた蛹にまではなれなかったのと同じことが今回も起こりました(「幻のナガサキアゲハ」参照)。
その前蛹(蛹になる直前の姿)が次の写真ですが、最終段階で暖かい南側から北側に移動させられたり、エサを無理やり切り替えられたりしました。さらにエサの絶対量そのものが多少不足したせいかもしれず、若干小ぶりなまま蛹になろうとしています。ちょっと気の毒でもあります。
ともかく、このアゲハは5分の1の確率で卵から蛹になることができました。これは自然界ではまだまだ高い確率だと思います。エサであるサンショウの方は落葉する前にほぼ葉っぱは食い尽くされ丸坊主になりました。一方ミカンは、2度立て続けに坊主になると枯れてしまう恐れもありましたが、幼虫を早めにサンショウに移動させたので、1年に2度の丸坊主だけはかろうじて免れました。そして今も来年のアゲハのために(?)何とか枯れずにまだ頑張っています。
植物も必死、それをエサにするチョウも必死。また飼育する人もなぜか必死(そう必死にならなくてもいいようなものですが、ついつい・・・笑)。
(Henk)
虫も葉っぱも、みんな必死で生きているんですね!そこへ行くと私はまだ少しボーっとしています。人間がボーッとしていてはいけませんね!まだまだ元気で一歩一歩前に進んで行かないと!
八咫烏さん
こうして飼育していると、青虫と植物と人との何か連帯感とでもいうか、共同作業をしている感じさえするんですね。飼育はただ単に人の興味でやっていることなのですが、青虫も飢えさせてはいけないし、植物も枯らしてはいけない。これは人の責任ですね。そんな大げさなものでもないか・・・。
Henk
飼育する人の気持ちが少しわかった気がします。この秋初めてツマグロヒョウモンの幼虫から蛹になる姿を観察する経験をしました。1頭はHenkさんからいただき庭のスミレに。ところが翌日見てみると他にも2頭いたのです。時々見当たらなくて心配したのですがいつの間にか戻っていて安心したりの日課となりました。その後蛹になった様子は次の機会に。少しだけ小さな命の営みを見つめることができました。(大袈裟かな)
Komさん
コメント有難うございます。
Komさんにとって、これまで青虫は大事に育てている植物の葉や花を食い荒らす害虫としか見えていなかったかもしれませんね。でも、一か月後にチョウになることを思い描きながらしばらく我慢して飼育してみると、また別の世界が見えてきた、ということではないでしょうか。育てたチョウを自分の手から飛び立たせる時は、さらに大きな感動があると思います。ここ数か月は寒くて何もすることはありませんが、今から来シーズンが待ち遠しくなっているのではないでしょうか。
Henk