一時的なオアシス 28

誠に残念だが、食糧難による餓死がまたこのオアシスでも見られた。

これは先頃アゲハの産卵でご紹介したサンショウで育っていたアゲハの幼虫の死骸だ。そして、その下が僅か2日前のこの幼虫の最後の姿だ。まだ他にも大きさの違う2つの幼虫が見える。

数日前に殆ど葉っぱを食い尽くした数匹の終齢幼虫が、エサを探して隣にある植物に移ってその葉の上で死んでいた。このサンショウ自体が7月頃水不足のため一度は全て葉を落としていたが、何とか枯れもせず新芽を出し始めたところにアゲハが卵を産み付けたものだった。しかし、10匹以上いた幼虫のエサとしての葉っぱはあまりにも少な過ぎたのだろう。ついにはどの幼虫も蛹になる前に餓死してしまったし、もしかするとサンショウも年に2度も丸坊主になっては、今度こそ本当に枯れてしまうかもしれない。

かと思うと、別のサンショウ(我が家の)にもそんな餓死の予備軍がいる(下の写真)。既に先輩たちに食べられてあまり葉が残っていないところに2齢くらいの鳥の糞のような幼虫が数匹いる。これも極めて危ない。とても蛹まで大きくなれるだけのエサは足りそうにない。

しかし、それを眺めていた時に、どこからともなくアゲハがやって来ておもむろに3個新たに卵を産み付けて行った(写真をクリック、拡大して見られます)。食料不足だというのに、まだこれ以上卵を産むのか、もっとエサの豊富な他の場所で産め、とも思ったが、種の保存のためにはそんな時ほど闇雲に子孫を残そうと努力するものなのか。昆虫も人間も生物である限り何か共通の何かがありそうだ。

人間の世界でも戦争や飢饉による食糧不足はいつの世にもなくなりはしないし、多くの餓死者さえも出している地域がこの世紀になっても現実に存在するのは悲しい。今年に入り戦争のために日本でも食料品だけに限らず生活に直結するあらゆるもの値段がジリジリ上がって、我々庶民の日々生活を圧迫してくるが、この日本では餓死者を出すなど程遠いこととまだまだタカをくくってはいる。しかし、今日のアゲハを見て、大袈裟かもしれぬが、生き延びるということは死ぬこととのほんの背中合わせのことでしかない、ということを改めて痛感させられた。

(Henk)

参考 蝶図鑑 アゲハ

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